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ジャイアント「情けない猫型ロボットと戦って勝つ意味があるのか?」 のび太「馬鹿にして・・・!そうやって貴様は 永遠に他人を見下すことしか出来ないんだ!」
 大東亜戦争後期、劣勢を打破する方策を発見できない日本軍内では、些末な事務的事項の正確性に、極端に固執する将校が増えていたと言われています。本当の問題から目を背ける歪んだ心理が働いていたのでしょう。
○今年は日中共同声明の40周年で、いろいろイベントが予定されています。そのキックオフミーティングが2月にあったんだそうですが、日本側に重大な瑕疵があったというのです。
○それはイベントに花を添えるためにAKB48を呼んだところ、来てくれたのがなんと20番台以降のメンバーであったのですと。序列社会の中国を相手に、これはいけません。ちゃんと前田敦子とか大島優子とかともちんとかを呼んで、「これがAKBの常務委員会ですぅ~」とでもやらないと、日本側が中国を軽く見ているというネガティブなメッセージを送ってしまうことになるのです。
○いやしくも「日本のソフトパワー外交」などというテーマを掲げるのであれば、これはいけません。関係者の猛省を促したいところです。あ、そうそう、かねて当欄の持論であるところの男性ユニット、「梁山泊108」を日中芸能界のコラボで作る、なんていうのも面白いんじゃないでしょうか。
シンディ:
お酒を飲んでね!福島の。とっても美味しいから!
意外に思われるかもしれないが、そのためには皆が、リスクのある将来を予見することである。長らく私たちの社会は、安定志向で動いていた。安定志向=『安全第一主義』は、リスキーな未来予測を回避する思考方法である。結果として、多くの組織では変化のためのチャンスに見過ごしてきてしまった。現在の沈滞と混沌は安定志向がもたらしたものだ。 あるべき姿を予見してそこから逸脱する可能性をリスクとして考える。リスクの裏側には、チャンスがある。チャンスにかけて決断する。そしてその決断が正しかったことを証明できるように努力するのである。これが未来予測の実践的な効果だ。 あるべき姿を考えるためには価値観が必要になる。だから未来予測は科学ではありえない。未来は予測するのではなく作り出すべきものだ。それは、マネジメント的な技術なのである。
中東からの帰りの機内では、映画「ハゲタカ」を見た。映画作品としての水準はともあれ、“日本企業にはまだ技術がある”という信念ないし思い込みを、皆が繰り返していたのがひどく印象に残っている。たしかに、ある特定の数字を極めることにかけては、日本企業の技術者達はみな優秀だし、懸命だ。だが、その数字(尺度)を、顧客の要望の全体系の中で位置づけて吟味し、何を捨て何を活かすかを考えて実践することこそ、技術ではないのか。そこには想像力(構想力)と、「賭け」が必要なはずである。

今回のオリンパスの不正経理(疑い)問題については全国で内視鏡を行なっている医師たちはもっと怒りの声を上げるべきである。

オリンパスは内視鏡シェア世界75%、日本ではそれ以上を占める大企業である。しかもその凄いところは内視鏡本体だけでなく、内視鏡消毒洗浄機、内視鏡検査用の各種デバイス、処置用各種デバイス、小さな小物に至るまで、ほぼ全て関連する製品をほぼ網羅していることでである。さらには他社が開発したらすぐに改良版を出すとういう、したたかな面ももっている。胃瘻キット、カプセル内視鏡、バルーン付き小腸内視鏡などなど。したがってほぼ独占企業の状態であり競争がないため、値引きはほとんどしない。

さらにいろいろなアイデアを多くのDr達からもらい各種製品を開発するにも関わらず、特許はほぼ独占し、アイデア考案者には全く恩恵を与えていない。(例、クリップ装置)(最近は少し軟化したとの情報もあるが。)
私が専門とする内視鏡的粘膜下層剥離術の保険点数は胃13000点、食道17000点。オリンパスのほとんど値引きしないESD用処置具は一本約 30000円で処置で、たいがい2本は使用する。(もちろんマルメ)ということは、我々がおこなう治療で13万円が病院に入るが、オリンパスの取り分が異常に多いため人件費、薬剤費、その他もろもろあわせると赤字ということ。
内視鏡で治療すればするほどオリンパスはもうかり病院は赤字が増える。そのため我々内視鏡医は涙ぐましい努力で処置具をできるだけ使わないようにしたり、安いものを使ったりすることを行い、病院からもそれを要求される。

そういった独占的商法で儲けたお金を何百億も得体のしれないケイマン諸島のアドバイザーに払ったりしてドブに捨てる(捨てたふりをする)のは内視鏡を使用する世界中の医療従事者を愚弄するもの以外なにものでもないと思う。

非常に面白かったのはその中で、日本人ほど哲学とか倫理観とか教育レベルとかそういったことの個人の力が高い国というのは、僕は今まで経験したことがなかったのです。ところが、そういう人たちを5人以上集めると、幼稚園みたいなもんでまるでまとまらない。イタリアの方がよっぽどまとまる、アメリカの方がよっぽどまとまるという現実に気がつきまして、ひょっとして日本って団体力ないんじゃないの?っていうことになり、僕の今までの仮説が逆転しました。皆さん何となく思い当たる節があるんじゃないかと。飲み屋に行くとすごいこと言うんです。仕事終わるとすごいこと言うんです。仕事の最中は黙って何も言わないですね。黙って何も言わないくせに何も考えてないかっていうと、当てると皆さんすばらしいこと言うんです。僕はそれは卑怯だと思いまして、自分が考えていることを、その場で決められた時間の中で他の人とシェアしないのはプロとして犯罪に近いと考えています。イタリアでそれをやると二度と会議に呼ばれません。ところが日本はそれをやって、黙っている方が会議に呼ばれるという、これは悪しき慣習だと思います。
日本のクライアントとは欧米に比べてどうでしたか?
F.F. はっきり言って日本のクライアントは本当の意味でのデザイナーを求めてはいない。たとえばソニーでは、社内に200人ものデザイナーがいて、フロッグデザインは彼らと共同で仕事をします。でもそれではフロッグのデザインにはならない。できたものは水で薄めたワインと同じです。アップルで仕事をすることになったとき、それまでいた社内のデザイナーは全員解雇されました。彼らは「水」になるからです。日本の大きな組織では、いくらデザイナーに斬新なアイデアがあっても、それが100%発揮されることはないでしょう。それから日本というのは面白いところで、デザインそのものには異常なまでに関心があるのに、デザインに投資することには全く関心がない。広告宣伝には湯水のようにお金を使うのに、です。フロッグデザインのデザイン料は他社に比べると相当高いんです。10倍ぐらいは。ですから、予算面で折り合いがつかなくて苦労しました。

■日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう■

ベンゲル 元名古屋グランパス監督

日本人はヨーロッパを美しく誤解している。
しかし実際のヨーロッパは全然違う。
日本が東京のような大都会とすれば、ヨーロッパはアフリカのサバンナのようなところだ。
治安が悪いのは勿論のこと、日本人と比較すればヨーロッパ人の民度は恐ろしく低く、日本では当たり前に通用する善意や思いやりは全く通じない。
隙あらばだまそうとする奴ばかりだ。
日本と違い階級社会である為、会話の全く通じない無知な愚か者も多い。
私は、時々、欧州事情に疎い日本人が欧州に行ったら、精神に異常を来たしてしまうのではないか?と心配することがよくある。
欧州について何も知らない日本人が欧州に移り住むというのは、都会の快適な場所に住んでいる人間を、ライオンがうようよいるアフリカのサバンナに丸裸で放り込むのと変わらないだろう。
悲惨な結果になるのは目に見えている。
日本ほど素晴らしい国は、世界中のどこにもないだろう。
これは私の確信であり事実だ。
問題は、日本の素晴らしさ・突出したレベルの高さについて、日本人自身が全くわかっていない事だ。
おかしな話だが、日本人は本気で、日本はダメな国と思っている。
最初は冗談で言っているのかと思ったが、本気とわかって心底驚いた記憶がある。
信じられるかい?
こんな理想的な素晴らしい国を築いたというのに、誇ることすらしない。
本当に奇妙な人達だ。
しかし我々欧州の人間から見ると、日本の現実は奇跡にしか思えないのである。